脱・これまでの私。

中学時代の私は超が付くほど明るく
どちらかと言えば目立ちたがり屋で
友達も沢山いて皆を笑わせてばかりいた。


そんな中学時代…
好きな芸能人の切り抜きを集めたり
友達と交換ノートをしたり
授業をサボったり

野球部の先輩を好きになったり
クラスメイトの男の子と恋をしたり
塾の先生を好きになったり…。


大人になった今思うと、
何とも恥ずかしい思い出や、
悲しくて忘れたい思い出もあるが
それらも含め全てがキラキラした思い出だ。


そんな中学時代とは対照的に、
高校時代は思い出したくもない。


周りの友達が行くから
私もここでいーや。
そんな軽い気持ちで簡単に決めた高校。

私には全く合わない学校だった。
どちらかと言えば不良が多く
弱い者いじめをする生徒が多かった。
そして休み時間や放課後は
何組もの男女が廊下でイチャつき
トイレからは煙草の臭いがする事も多かった。
そんな学校が私はイヤでイヤで仕方なかった。

中学から一緒だった友達も
高校でどんどん変わっていった。
高校で出来た友達がいなかった訳ではなかったが
その人達とも打ち解ける事が出来なかった。
とにかく学校に通うのがツラかった。

徐々に体調を崩し休みがちになり、
2年の時は入院もした。
成績は下がった。
性格はどんどん暗くなった。


そんな高校時代が終わり大学へ進学
その後、社会人になっても
中学までの私に戻る事は無いまま
これまで過ごしてきた。



今年のGW、我が家は私の実家で過ごした。
昔よく行った公園や河川敷などに娘を連れて行くと、
楽しかった故郷での日々、
特に中学時代の思い出が甦った。

そして帰省中、中学の同級生数人と偶然再会した。
私はあの頃に戻りたくなった。

しかし皆、
色んな経験をして大人になり、
親になり、
今を強く生きていた。

私も過去ばかり見つめずに
今と未来を楽しもう。
そして今度また皆に会う時は
今が一番楽しいと言える私になろう。


今年のGW、
いつものGWより
ある意味充実したものになった。

嬉しかった言葉。

今週のお題特別編「嬉しかった言葉 」
〈春のブログキャンペーン ファイナル〉


嬉しかった言葉。


…高校生辺りから性格が一変してしまい、以降若干冷めている私なので、これを言われて嬉しかったー!って言うのはあまり記憶に残っていないが…。


確実に一つ、
甘酸っぱい青春の中にあった。



「寂しいね…」



大好きだった人から言われた言葉だ。


彼と知り合ったのは、彼が大学一年生、私が中学三年生の夏休み。
彼は夏休みで帰省中、塾で講師のバイトをしており、私はそこに通う生徒という関係だった。


歳も離れていてそれまで面識はなかったが、幼稚園、小学校、中学校、のちに私が入学する事になる高校まで同じな事もあり、休み時間は話が弾んだ。


彼はどちらかと言えば背も低く、顔が特にカッコいいわけでもなく、それまでの私のタイプの人とは正反対の人だったが、とても優しく、どこか陰がある寂しそうな笑顔…そんな彼に私は惹かれ、彼に会える毎日が楽しくて仕方なかった。


しかし、長いはずの夏休みはあっと言う間に過ぎ、彼は大学がある遠くの街に戻る事に。



最終日、私の隣に座っていた彼は、長い沈黙の後、こう言って席を立った。


「寂しいね…」


この言葉を聞いた私は、もう会えなくなる事を実感したと同時に、私に寂しいと言ってくれた事、私の気持ちを理解してくれていた事、私と同じ気持ちで彼もいてくれた事が嬉しかった。

彼が伝えた言葉に対して、遠くを見つめていただけのあの日の私。どうして何も言わなかったのだろう。どうしてこんなにも不器用なのだろう…。暫くは後悔の日々が続いた。


結局それが、彼が私に言った最後の言葉で、彼に会ったのもこの日が最後。恐らくこれからも彼に会う事は無いだろう。


彼にとって私は、妹のような存在だったのか、よく話していただけの一生徒だったのか、もしかすると彼も……それは今でも分からないが、大好きな人と同じ時間を過ごし、同じ事を考えていた、それだけで超幸せな私がいた。


あれから20年。
あの頃の私はどこへ…。

思い出のアクリルたわし。

洗剤を使わなくても
ある程度の汚れならキレイに落ちる
アクリルたわし。

洗剤を使わないので、エコは勿論
手荒れも気にならない。



今から10年程前、
仕事を辞めて実家で家事手伝い(プーとも言う)
をしていた頃、生協のカタログを見ていた母親から、
これで編み物の練習してみたらと言われて作ったもの、それがアクリルたわしだった。

その頃編み物に興味があった私は
色違いのアクリル毛糸3玉と
編み方の説明書がセットになった
アクリルたわしキットを早速注文してもらった。


しかし
かぎ針編みをしたことがなかった私は
母親に一から教えてもらいながら
花の形をした可愛いアクリルたわしを
やっとの事で作り上げた。

今思えば、たいして上手い出来ではなかったはずだが、
母親、更には父親からも上手い上手いと誉められた。
それからは、自分で適当にアレンジもしたりして
飽きるまでアクリルたわしを大量に作製。
実家のキッチンには私のアクリルたわしが
置かれる事になった。



そんなアクリルたわし、
また作ってみようかな。

そう思った私は
100均でアクリル毛糸を買い、
娘が昼寝している時など家事が一段落した時に
10年振りにアクリルたわしを編んでみた。


すると
安いアクリル毛糸だからか
その毛糸がアクリルたわし向きではなかったのか、
食器の洗い上がりが若干残念な感じだったので
食器洗い用のアクリルたわしとしてではなく、
洗面台掃除用に変更。
メラミンスポンジでも落ちなかった
洗面台の石鹸垢などの汚れがキレイになった。

アクリルたわし、恐るべし☆


しかし
お風呂場の鏡には効果無し…。



今でも実家に帰ると、10年前の私が作った
未使用のアクリルたわしが1つだけ残っていて
いつ帰っても同じ場所に置いている。
数年前
「これ、使わないでずっとここに置いてるの?」
と母親に聞いた事がある。
すると母親は
「あなたが作ってくれた記念にとっているの。」
そう答えた。


10年前の私は何も考えず、
ただ大量に作りまくっただけのアクリルたわしだったが
母親にとってみれば、
娘から何度も質問されながら、
娘が初めて編んだ思い出のアクリルたわしだったのだ。


子どもが幾つになっても
親は子どもの成長が嬉しいもので
子どもと過ごした日々が
思い出であり、宝物である。


私も親となり
そんな事を考えるようになった。

公園で会ったオバアチャンが言ってくれた事。

昨日は娘にブチキレの私だったが
娘が喜んでくれるなら…と
今日も朝から娘と2人
せっせと公園に行ってきた。


そして昨日同様
公園を離れようとするとグズりまくる娘。


しかし私の抱っこは嫌がらない様子。
だったらベビーカーを押しながら
抱っこで帰ってみるか…。


もう10kgを超える娘を抱っこしての
ベビーカーを押すという行為。
実際にやってみるとかなりキツく
ここから家までは持たないな…と感じていた。


途中、木陰で休んでいると
私に抱えられグズっている娘を見たオバアチャンが
娘に声をかけてきた。


眠くなったかなー?
眠い時はお母さんの抱っこが良いよねー。
こんなの乗ってられないよねー。


それからオバアチャンは初対面の私に
白内障の手術をしたとか
最近耳が悪くなったとかを話し続け、
私もその話に付き合っていた。

そしてまた娘の話に戻り

お母さんも大変でしょう?
一日だけでも一人でゆっくり出来たらなーって
昔私も思ってたわー。
でも今はキツくても、育てて来て本当に良かったー
って思える日が必ず来るから。

さ、オバアチャン昼ご飯食べに帰ろー。
バイバーイ。

オバアチャンが娘に手を振ると
娘もオバアチャンに手を振った。

そしてオバアチャンは娘の頭を撫で
お利口さんねー
と言って去っていった。


帰り道
結局ベビーカーに乗せられた娘。
乗ってすぐはグズったものの
家に着く頃には静かに座っていた。


オバアチャンと話していると
少しボケているんだろうと感じる事はあったが
娘の気持ちも私の気持ちも分かってくれている
オバアチャンの言葉は本当に有り難かった。

そして子育てでツラくなった時は
オバアチャンが言ってくれた事を思い出して
頑張っていこうと思った。


オバアチャン
ありがとう。

娘にキレた。

さっき
近所の公園から帰ってきた。

公園へは2時間以上行ってきた。
娘はその間、全力で遊んでいた。

今の運動能力ではまだ無理だと
娘自身も分かっているであろう遊具でも
娘は果敢に挑戦する。

今日も私はヒヤヒヤしながら
娘がやりたがる遊具に出来るだけ付き合った。


それが約2時間。
体調不良の今日の私はそれだけでヘトヘト。


そして覚悟はしていたが
公園から離れる時は
いつも以上に大変だった。


ベビーカーに乗るのを断固拒否する娘。
それでも無理矢理ベビーカーに乗せ
はじめは優しく娘に話しかけていた私だが
娘のギャン泣きは全くおさまりそうにない。

ギャン泣きを続ける事、およそ20分。
家が見えてもまだ泣き続ける。

頭も痛い、お腹も痛い、腰も痛い、
そんな私はもう我慢の限界に達し
近所の目もあったが大きな声で叱った。
それでも一向に泣き止まない。

家に帰り着いても泣き続ける娘。

娘を公園に連れて行った帰りは
いつもこんな感じ。


今の娘はというと…
遊び疲れたのか泣き疲れたのか
ぐっすり夢の中である。


キレた後悔よりも

毎回これは

正直、しんどい。

可愛いお弁当箱が欲しかった。

トピック「子供の頃に欲しかったもの」について


子供の頃に欲しかったもの。
それは可愛いお弁当箱。

欲しいものはわりと何でも買ってもらっていたが
可愛いお弁当箱には恵まれなかった。

流行りものが大好きだった私。
それとは対照的な母親。

人気キャラクターのこのお弁当箱が欲しいと言うと
中身との彩りとか量とか考えても
それよりこっちの方が良いなどといつも言われ、
私は折れて、欲しかった方とは別のお弁当箱を
買ってもらっていた記憶がある。

そもそも小学校~中学校は毎日給食だったので
マイお弁当箱が使われるのは年に3回程度の遠足だけ。
今思えば可愛いお弁当箱に
そこまで拘る事もなかったなとは自分で思う。


しかし中学生になり部活を始め
お弁当を持参しないといけなくなった土曜のある朝。
父親用の四角い黒い弁当箱を渡された時はかなりムカついた。
どうしてこれなのかと問うと
こっちの方が沢山入ると母親。

一応多感な時期なのだが…。

お昼になり部活仲間とお弁当を食べる時、
「お母さん、今日こんなのにお弁当詰めたんだよねー。」と私。
「いーじゃん。いっぱい食べれてー。」
そう言う部活仲間のお弁当箱は小さめの可愛らしいお弁当箱。


ふっ。


高校では毎日お弁当。
私は欲しいお弁当箱を自分で買い
母親に私のお弁当はこれでとお願いし
母親には三年間、毎朝お弁当を作ってもらった。
大学時代は一人暮らしをしていたので
コンビニ弁当か学食だったが
社会人になり実家に戻ってからは
お気に入りのお弁当箱に詰めた
母親の作ってくれたお弁当を毎日持って行った。


それから結婚してお弁当を作ってあげる側になった。
子どもには好きなお弁当箱を持たせてあげようと思うと同時に、いつも凝ったお弁当を作ってくれた母親のお弁当を思い出した。

お風呂場の鏡

まっっっったく落ちない
お風呂場の鏡の水垢。


ウチの頑固な水垢には
クレンザーを使った方法も
クエン酸を使った方法もダメだった。

と言っても
どちらも一回しか試していない。
もっと根気強く続けるべきなのだろうか?



そんなに放置したつもりはなかったのに
あっという間についてしまった水垢…。


いつもお風呂上がりに
パパッとキレイにしておけば
こんなことにならなかったはず…。


自分を責めた。


今更ながら水切りワイパーを買って
お風呂上がりにやってみた。



キレイに水切り出来て
ピカピカの鏡☆


しかし
水垢は勿論そのまま…。


余計凹んだ。


業者に頼んでキレイになるのなら
それもいいけど
結構な代金とられるだろうし
なんとか自力でキレイにしたい。


水垢への挑戦は
これからも続く…。