何事にも感謝!?

中学一年
国語の授業だった。


先生からあてられた生徒が起立し
教科書の音読をしていた。
似たような文章が続く物語だったと記憶している。


ある男子生徒。
声も小さく
幾度となくひっかかりながら読み
漢字の読み間違いも多く
教科書を目で追っていた私だったが
何かの拍子に
彼が何処を読んでいるのか分からなくなった。


戸惑っている私を先生が察知したのがわかった。
案の定
先生は男子生徒に音読を止めさせ
「◯◯さん、続きを読んでください。」
と私に冷たく言った。


私は隣の友人に
「ここからだよね?」と尋ねると
「うん。」と友人。

それを見た先生は
「おいおい…」と意地悪に笑う。
そして私が読み始めると「違う!」
何度かそれを繰り返した後
正しい読み始めの箇所を私に教え、
読み終えた私に説教して私の音読は終わった。



私はどの授業も真面目に受けていた。
先生からあてられるかもしれない時などは尚更だ。
それはその先生にも充分分かっていたと思う。

なので
友達が読んでいるのをちゃんと聞いておけ
などとキレられるのは全く納得出来なかったし
今でも全く納得していない。

正直
あんな下手くそな音読しか出来ない男子生徒の方が
キレられるべきであると思っている(笑)


私が先生から叱られるとするならば
「分からないならハッキリ『どこを読んでいるのか分からなかったのでどこから読むのか教えて下さい』と言いなさい」ということなのではないかと思う。

しかしこの先生は
戸惑っている私の姿にムカついたことで
必要以上にキレて音読させたことは
まだ12~3歳の子どもの私でも充分理解できた。



そもそもこの先生は
機嫌が悪い日はよく生徒にあたっていた。


予防接種をうけなければならないクラスの数名が
この先生の授業を中断して
保健室に行かなければならない日があった。

これは学校側が決めた事であるにも関わらず
なぜか生徒に腹をたて、
予防接種をうける私を含むクラスメイト数名は
予防接種の時間になると
キレられながら廊下に整列しろと言われ、
この列のまま一言も発することなく保健室まで行けと言われ
これを見た他のクラスの生徒は何事かと
ビックリした目で廊下に出された私達を見ていた時もあった。



音読の授業中
教壇から生徒を眺める先生には
私はよく見えていただろうが
クラスメイトには
その時私がどんな授業態度だったのかなど
分かりもしない。
ましてや次は自分があてられるかもしれない音読中。
みんな教科書を見ていて当たり前だ。


そんな子ども数十人の前で
私がなにも反抗できないのを知っていて
理不尽なキレ方をして
それで先生がすっきりしたなら
まーそれはそれでよかったね、先生(笑)。



先生も人間。
機嫌がよい時もあれば悪い時もあって当然。
生徒のしたことに対する勘違いだってあるだろう。


しかし生徒が明らかに困っている時に


あ、こいつ困ってるな。
よし、もっと困らせてやろ。


みたいなのはやめた方がいい。


そんな生徒(子ども)に対して
わざとらしく呆れて笑ったり
的外れな叱り方をする先生(大人)は
言語道断である。



と、
私は子どもを育てながら思う。


が…


ここ最近の自分を振り返ると
あの時の先生みたいな口調で
子どもに接している時があるような気がして
親として大人として恥ずかしくなる。



人は
自分がされたことは
とてもよく覚えていて

それは
されて嬉しかったことより
されて嫌だったことの方が
よく覚えていて…

自分が強い立場になった時
その嫌だったことを
無意識のうちに
弱い立場の人間に
してしまっている気がする。


こういうことを考える機会を与えてくれたのは
あの国語教師のおかげである。


そう思うと
納得いかないあの日の授業も
有り難く思えてきた。